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『チュンチュンチュン…………チチチ……』
平和そうにさえずりながら、数羽のスズメが空で輪を描いている。そんなのどかな風景を
見つめながら、二人の男女が のんびりと川べりの土手に座っていた。そして、不意に男の方が
「明日はいよいよ華音とみなもちゃんの入学式か……。もうこの街に越してきて二年……
短くも長かったな……」
と呟いた。すると、少女の方も
「そうだよねぇ……。華音ちゃんが藍ヶ丘北中に入ってからは平和だったもんね……。
ねぇ、涼ちゃん?」
と爽やかな春風に髪をなびかせながらその男−男……と言うよりは少年の方が合っている
かも知れない。何故なら、彼の顔にはまだ幾分かのあどけなさが残っているからであり、その髪が春の陽光を照り返してさながら銀の糸のように輝いている事が、彼の容姿を大人びさせている最大の要因だろう−に話しかけた。すると、涼と呼ばれたその少年も
「そうだね……。華音の『心の傷』が開く事もなかったし、みんなもとても優しくしてくれているしね。
願わくば、このまま『あの事』を忘れ去ってくれるといいんだけど……」
と言いながらも、彼の瞳は、リハビリも兼ねて街の中を散策している妹の姿を見つめていた……。
『氷乃森 華音』……。ドイツ人を母に持つ彼女は、生来の色素異常……いわゆるアルビノであった所為で、今も深紅の瞳を持っている。そして、かつて過ごしていた父方の実家
『雪ヶ峰』ではその紅い瞳が災いしてひどいイジメに遭い、
果ては『苛められていた連中に
純潔を汚される』という耐え難い屈辱までも身体に刻み込まれていた。
しかも、中学二年に上がった
新学期の初日、雨の中事故に遭い、数ヶ月意識を失ったままで眠り続けていた事もあったのである。
そして、その事故は彼女から右足の自由と左腕を奪っていた……。
その後、帰国した双子の実兄『氷乃森 涼』と共に雪ヶ峰を離れ、澄空に二人だけで転居してきたのが約二年前……。当然のように、華音は最初こそおどおどしていた部分はあったが、
彼女は徐々に持ち前の明るさを発揮し、その『心の傷跡』を一切表に出す事もなく、友人にも恵まれたこの澄空での生活を送っていた……。
そして翌日……。桜が舞い散る晴天の中、華音と彼女の従姉妹『伊吹 みなも』の入学式が、
澄空市の小高い丘の上に建っている『私立澄空高等学校』で行われた……。式自体はごく普通の
ありふれた物であり、普通に終わっていった。そして、式終了後各自のクラスに移動という事になったのだが、そのクラス分けは、後に涼をして『これは……』と絶句させるほどの物であった。
なぜならば……クラスに着いた華音だったが、いざ自分の席からぐるりと周囲を見回してみると……。
「あ!華音お姉ちゃんだ!!一緒のクラスで良かった〜〜〜」
と言う声。振り返るまでもなく声の主がみなもである事は明白だった……が、そこで聞き慣れない声が不意に華音の耳に飛び込んできた。
「あの……この人、伊吹さんのお姉さんなんですか?ぱっと見た感じでは、そんなに似てるようには
見えないんですけど……」
そう言いながら、一人の少女が華音の隣にやって来た。背格好はごく平均的で、年齢相応の
少女だった。しかし、その少女がまとう雰囲気は一種独特なものがあり、快活そうな中にもどこか
儚げな部分があった。そして、その雰囲気は華音がまとうそれにも似た所があった。
「いえ……。みなもちゃんとは親戚同士で、同じ高校に入学しただけの事ですから……」
と華音が初めて会う他人にしてみせる、どこか他人行儀な……言い換えれば壁を作っているかの
ような言葉使いで返したが、当のみなもはと言うといたって普通の声色で
「そうだよ、『希望』ちゃん。華音お姉ちゃんは私よりも一つ上で、とっても優しいんだよ」
と言う風に、希望と呼ばれた少女に語りかけていた。華音とみなもは通っていた中学が違うから、
当然の様に希望の事は知る由もない。その所為か華音が『?』といった様子で首を傾げていたが、
最初にそれに気付いたのは希望の方だった。
「あ……すいません。二人だけで話し込んじゃって……。私、『相摩 希望(そうま のぞみ)』と
言います。みなもちゃんとは中学が一緒で、色々と話してる中で、えーと……氷乃森さんの事も何回か話題に出てたもので……」
と謝ろうとしたが、華音の方も彼女がみなもの親友である事ぐらいはすぐに察しが付いた。そして、
そうであるならばと言いたげに華音も相好を崩し
「ううん。私も新しいお友達が出来るのは嬉しいし、何よりも…入学してすぐに打ち解けて、
色々と話せる人が出来るのは嬉しいもんね」
と、いつもの口調で希望に語りかけた。当然、先刻とはうって変わっていきなりくだけた感じの口調に変化した華音に驚いた希望であったが、その会話の途中で浮かんだ小さな疑問を問うてみる事も
忘れなかった。その疑問とは……
「でも、氷乃森さんは伊吹さんよりも一つ年上なんですよね?だったら、どうして今年の
高校入学だったんですか……?」
そう聞いた希望であったが、固定具を装着した華音の右足とスチール製の松葉杖を見た瞬間、
その質問は避けるべきだったと気付たいが既に遅かった。そう、今までにこにこしていた華音の
表情が、はっと息を呑んだように見えた後急に曇りはじめ、やや青ざめた感じの顔色で
俯きかげんになってしまったのである。
「あ……ごめんなさい!聞いちゃまずい事なんですよね?こう言う事って……本当に
ごめんなさい……。私も、うっかりしてたもので……」
とすぐに謝ったが、華音の方はもう慣れているのかすぐに表情を元に戻して顔を上げると
「そんな事ないよ。この足は、交通事故で潰しちゃって……まぁ、相手がダンプだったから暫く意識も戻らなかったけどね。そして、その所為で中二をもう一回やり直し……と」
という風にごく普通に答えはしたが、みなもや希望も、その瞬間だけ華音の顔にさした暗く沈痛な
影には気付かなかった……。
一方、ここは澄空の商店街にある一軒のカフェ……。そしてその店内では、数人の男女がああだ
こうだとせわしなく動きながらも、いそいそと何かの準備をしていた。
「ねぇ、三上君。その伊吹さんってそんなに可愛いの?」
という感じで、翡翠色に輝くショートカットの髪をなびかせた、快活そうな感じの少女−昨年の冬に
智也達のクラスに転入してきた少女で、名前は『音羽かおる』と言った−がテーブルの反対側で
何やら細々とした事をしていた智也に問いかけた。すると、智也のほうも窓の方を見つめながら
「ああ……可愛いし、しっかりしてるし……。ま、ちょっと病弱な所があるけどな……」
とつぶやいた。そしてかおるのほうもそれで納得したのか、『ふぅ〜ん……』という感じで納得し、
それっきりみなもの事は気にしなかった。
そして、ちょうど智也とかおる、それに唯笑の三人がカフェでの準備をあらかた終えた頃……
『カランカランカラン……』
と扉が開き、『ただいまぁー』という声とともに、彩花ともう一人の少女が、やや大きな紙箱を
抱えながら買出しからカフェに戻ってきた。
「あ!彩ちゃんお帰り〜!!」
と言う唯笑の声と同時に
「あ、おかえり〜。みかど、準備はどうだった??」
と、かおるが『みかど』と呼ばれた少女に尋ねると、彼女の方も
「姉さん、それだったら大丈夫。桧月さんと一緒に色々見てきたから。これなら二人にも合うだろうと思って選んだし、伊吹さんにも氷乃森さんにも気に入ってもらえると思うよ」
といった感じで準備も終わり、あとは主賓を迎えるだけとなったカフェの座席を見ながら、智也と彩花が考えていた事はというと『早く二人が来ないかなぁ……』と言う事であった。
そんなこんなで、担任の紹介−クラス担任には、かつて涼も担任として世話になった
『川島優夏』が着任。彼女独特のジョークを交えた自己紹介と、副担任の『飯田億彦』のやや
気障ったらしくもどこか間の抜けた自己紹介が影響したのか、生徒達の印象は『どこか頼り無い
感じの先生(希望&華音談)』というものであった。−も終わり、帰ろうとする生徒でクラス全体が
賑やかにざわついてきた頃……。
「ねぇねぇ、華音お姉ちゃん。帰りに何所かに寄ってくの?」
とみなもが聞いてきた。しかし、当の華音も朝方に涼が浮かべた珍しいくらいのニヤけた顔が妙に
引っ掛かっていたが、朝から浮かべていたその疑問が次の瞬間氷解してしまう事など、
誰があの表情から想像し得ただろうか……。
教室を辞すべく『さて、と……』と言いながら華音が席を立ち、
みなもがそのサポートをしていると……
『ねぇねぇ、あの人誰だろう……?』とか『カッコイイ…!!』と言った感じの女子の黄色い声が廊下に
木霊しはじめた。さすがに華音とみなもも気になるのか、廊下に出ようとしたその直後……
『ガラガラガラ』と言う音と共に教室の戸が開き、そこから−といっても、その顔はかなり上の方から
突き出していたが−顔を出したのは、純白の髪に蒼玉を刻んだ瞳……そして、胸元に結ばれた
純白のスカーフタイ……。間違いなくその姿は華音の実兄『氷乃森 涼』のそれだった。
「なぁんだ……兄さんか……。誰かと思ってたのに……」
とそっけない返事の華音と
「あ、涼お兄ちゃんだ!入学式は見に来てくれてたんだよね?」
と尋ねるみなも。その問いに対しての涼の答えはと言うと……
「やぁ、みなもちゃん。入学式はちゃんと参加させてもらったよ。もっとも、後ろの方から壁際に体を
預けてたんだけどね……。それに華音……そうそうカッコイイ男の子がゴロゴロしてる
訳ないだろう?……っと!そう言う事じゃなかった……。二人とも、この後はあいてるよね?」
と二人に確認を取る。すると
「うん!私はこの後は何もないし……。あ、でもお母さんに涼お兄ちゃん達に放課後
少し付き合うって、連絡しておくね」
と言うみなもと
「まぁ、兄さんが何か企んでそうな表情をしてるのは今朝見た事だし……。何かしてくれそうな
気がするから、私も付き合おうっかな……」
と言った感じで、二人とも全然大丈夫との返事が返ってきた。
そうなれば、後はいつものトントン拍子……。
「じゃ、行くとしますか。商店街のカフェに場所をとってあるんだ……。
二人の入学のお祝いに、ちょっとしたミニパーティーでもやろうと思ってね?」
と二人を案内して、昼下がりの澄空商店街に出かけたのはそれから10分程後の事だった。
そして、商店街の一角にあるカフェで行われた華音とみなもの入学祝いのミニパーティーは
ささやかに、そして賑やかに行われた。その席で、智也のクラスに昨年の冬に転入してきた転校生『音羽かおる』と双子の妹の『音羽みかど』を紹介され、緊張していた二人だったが、
誰とでもすぐ打ち解けられるかおると、大人しいながらも同じ雰囲気を持つみかどという事もあり、
すぐに華音達も打ち解けてしまい、入学祝として渡されたボールペンセットに感動し、
パーティーが終わる頃には親友とも呼べるような状態にまで発展していた。そして、後から華音達も
聞いた話であるのだが、華音が左腕を義手−広義的に使われている義手も持ってはいるのだが、
華音の場合それはあくまでもサポート的な意味合いが強いものである。通常の場合、華音は
『筋電義手』と呼ばれる、皮膚上に流れる微弱な電気信号を読み取り、その信号に従って
内蔵のモーターを作動させる特殊な義手を使用している。二人はこの筋電義手が駆動する時に
発するごく小さなモーター音が聞こえたので気付いたと言う事であるが−にしている事はすぐに
気付いていたらしい。しかし、こういう席でその事を口に出すのもなんだと言う事で、二人はわざと
気付かない振りをしていたらしいというのである。
そして、そのパーティーの帰り道……。
「兄さん……私ね、この街に来て本当に良かったと思ってるの……。だって、街の人達は
みんな暖かいし、とても心が落ち着くの……」
と、少し瞳を潤ませてなにやら上機嫌の華音が涼にしなだれかかってこう呟いた。すると、涼の方も
そういう展開を予め見越していたのか、それとも、何か覚えがあるのか
「華音……。あの時よそ見してたから、紅茶に入れすぎただろ……ブランデー……。まぁ、その事は
流すにしても……そうだな、この街はとても安らぐよ……。『あの場所』みたいに妙な刺々しさは
ないし、それに……何かが心に語りかけるのかな……?不思議な気分を感じるしね。やっぱり、
引っ越して正解だったかな……。でも、千沙都ちゃんや美沙都ちゃん達には悪い事したかな……」
と言いながらやや顔を上げて遠くの空を見つめた。すると、華音の方もさっきまでの機嫌よさそうな
表情を曇らせ、少し寂しそうな表情を浮かべながら
「うん……。本当はずっと居たかったんだけどね。でも、あの時の私は自分の全てが否定されていた
ような気分だったから…だから……。」
と、伏し目がちに呟いた……。そして夜の帳が落ち始め、星達のささやきが聞こえ始めた
空の下、二人はマンションへと帰っていった………。
そして季節は移ろい、その年の9月始め…。いつもの様に、教室からのんびりと校庭の楓の木を
眺めていた涼に向かって、涼やかな声が放たれた……
「氷乃森君、ちょっと相談したい事があるの……。申し訳ないんだけど、放課後でもいいから
職員室まで来てくれないかしら……?」
そう言って、涼達の担任教師でもある生物の『秋篠 真澄美』は生物教室の帰りなのか、白衣姿のままで廊下から半身だけ出して涼に声を掛けた。そして、その言葉に涼は特に苦手という訳でもないし、何よりクラス委員ではなく、わざわざ自分に持ちかけられた相談という事もあり、片手を軽く上げて
「Ja!では、放課後に伺いますので……。でも、わざわざ私をご指名とは…何の相談ですか?
健康相談だったら、保健室の緋村先生に聞いた方が早いですよ?」
と軽く流したが、秋篠教諭はちょっとと小首を傾げた−一見ゾクリとするほどの美貌の持ち主である
彼女だが、時折見せるこういった仕草は妙に幼げに見えた。そしてそういった面が受けるのか、
学年問わずに生徒からの受けは良かった……−が、涼の意図に気付いたのか珍しく
苦笑を浮かべながら腕組みをして壁に寄りかかり
「いやねぇ…香澄の事なら大丈夫よ。あの子なら、恭介君とうまくやってるわよ……。
今回は、中旬に編入される転校生の事なんだけど、彼女ドイツから帰ってくるそうだから、
氷乃森君に色々と面倒見てもらおうと思ってたのよ………」
と苦笑しながらひらひらと手を振っていたが、『でも、相談事をもう言ってしまってますよ?
まぁ、そういう事ならば謹んでお受けしますよ』という涼の一言に苦笑いしつつ、
「じゃぁ、そういう事だから……詳細は秘密という事にしておきましょう♪」
といいつつ、白衣の裾を翻しながら職員室へと歩み去っていった。そんな彼女を
視線で追いつつ、そして、今度は少しずつ秋に向かって移ろう空を見つめながら、
「ドイツ帰りの転校生か……まさか、『彼女』じゃないよなぁ……。今はまだ、教授の仕事が
片付かないからペルーだと言ってたし…」
と呟きながらも、涼は今でも記憶に残っている美しい亜麻色の髪と黄玉の瞳を持つ少女の
姿を、校庭の片隅に鎮座している樫の古木の前に重ねていた。
秋篠教諭との妙な会話から半月後の午前中……。秋篠教諭が涼に持ちかけた相談事−
帰国子女の世話焼き−と言う役を仰せつかった涼が姿を見せぬまま、ロングホームルームを活用した紹介の時間が持たれる事となった。
「おぉ〜!可愛い!!何処から来たんだろうな!?」
「キレイな髪の色〜〜……どうやったらあんなに綺麗になるんだろう……」
といったクラスの視線を軽く受け流し、その少女は無表情にクラスを眺めていた。どうやら、
隣で色々と説明をしている秋篠教諭の事など眼中にないらしい……。
そんな彼女を見ていた智也と唯笑、そしてかおるとみかどだったが、
「でも、あそこまで無表情に徹するかしらねぇ〜?」
というみかどの言葉に触発されたのか、続いてかおるも
「でも、あの無表情と無関心は何かワケありね…」
「ほえ?ワケありって……かおるちゃん、なんで??」
「あのなぁ、唯笑……その訳が判るんなら、秋篠先生だって苦労はしねぇよ・・・。でも、あの涼が朝から姿を見せないとは………何かあったか……?」と訝った智也だが、当の涼が
その巨体を全速で走らせ、『クゥゥゥゥ!!』という気合の声と共に校門への坂道を駆け上っている
事は露にも知らなかった………。そして、当の涼はと言うと……
「なんだって、今日を狙ってああも難しいオペの執刀依頼が来るかなぁ…っ!帰国生の
顔合わせすらした事ないのに……。一応、電話はしてあるから良いとしても…あの四……
いや、三人組か…とりあえず、購買のジャーマンポテトサンドとカスタードフルーツサンド
奢って機嫌直してもらうしかないか……」
とブツブツ言いながら、校門まで後100メートルの所まで全速ダッシュしていた。いつも遅刻などとは凡そ無関係かつ絶対しないと自負していた涼であったが、マンションを出る寸前に携帯に掛ってきた病院からの電話−昨夜澄空市民病院に運ばれた患者の容体が朝になって急変、手術という事になったのだが、手術内容が精密に精密を重ねる執刀法であった上に、それが出来る医師が出張しているという二重のピンチに陥っているので、応援に来てほしいと言う内容であった−のために
急遽病院へとタクシーを飛ばす羽目となった。しかも不運とは重なるものらしく、華音も季節の変わり目によくひくという風邪をこじらせてしまい昨日から学校も休んでいたのである。そんな不幸の二重奏は起こってほしくはないものであるが、起きてしまったものは仕方がない。今は少しでも早く
教室に辿り着く事が先決である……。
そんな取り止めない思考を堂堂巡らせながらも、インターハイ記録もかくやと言わんばかりの
俊足で辛くも校舎内に飛び込み、そこからは迅速かつ静寂に教室の前までやって来た涼だったが、どうやら秋篠教諭の方が数枚上手だったらしい……。教室前方の戸を半ば匍匐全身に近い状態で
パスしかかった瞬間、『ガラガラ〜〜〜』という音と共に開き、同時に
「お早う……。手術室から直行ですって?ま、命を救ってきた英雄を廊下に立たせておくのは
何だし……。早く入りなさい、紹介はまだまだ続いているから…」
と言って、また『ピシャリ』と戸が閉まってしまった。流石に這ったままの姿勢では
様にならない…。観念した涼が立ち上がり、後ろの戸から教壇の転校生を見ながら
入り……かけて固まった。何故ならば、その転校生の姿−銀髪に近い亜麻色の髪、黄玉を
刻んだ神秘的な瞳、そして何より、その少女が纏ったどこか近づき難い雰囲気までもが、
その話を聴いてすぐに浮かべた少女のイメージと寸分違わずに合致していた−を見た瞬間、思わず教壇の方に歩み寄り、その名を呼んでいた…………。
「シオン……?シオンじゃないか!?そうか……君が噂の転校生だったのか!!」
と言って、周囲の驚きなどどこ吹く風のように彼女の元に歩み寄り、その白く白魚のように
細い手を優しく握り、握手を交わしていた。そして、周囲の反応が更に驚愕に満ちたのは、
その次の瞬間転校生の少女−涼に『シオン』と呼ばれた彼女であった−の雰囲気が変わった事であった。今まで纏っていた誰も近寄らせまいとする冷たい雰囲気とは一転、まるで近所にいる友人と
世間話をするような明るい雰囲気に変わり、その表情もぎこちないと言うよりは、
むしろ無表情を装っているかのような表情も消え去り、涼に対して
「リョウ!貴方こそどうして此処に!?いえ、何時から此処にいるのですか!?」
と驚愕し、困惑しつつもその握手に更なる力を込めながらも聞き返していた。しかし、
その答えが涼の口から放たれる直前、秋篠教諭の咳払いと
「まぁ、旧交を温めるのは休み時間なり放課後なりにして、席に着いたほうがいいわよ……。
二人とも、色んな意味で目立ちまくってるから……ね?」
と言う声に、二人が同時に硬直。そして、気まずげにパッと離れたのは、
言うまでも無い事であった……。
そして、当初の雰囲気は何処へやら。転校生の少女は今まで纏っていた雰囲気から一転、ニコニコと笑顔を浮かべながら、水晶の鐘が響くような美声で
「では、改めて自己紹介させていただきます。私は『シオン』……『双海
詩音(ふたみ
しおん)』と申します。父の仕事の関係でこのたび、帰国する事になりました。色々と解らない所も
あると思いますが、よろしくお願いします」
と言って、深々と頭を下げて一礼した。すると、クラス中から暖かい拍手−特に男子からは
歓声と指笛が鳴り響き、真澄美が慌てて止めに入ったほどである−が沸き起こった。
そして、その日の昼休み……。詩音の周りを囲んだクラスメイトたちが質問したのは当然の様に
『詩音と涼は付き合っていたのか』と言う一点だったが、その疑惑はあっけなく排除されていた。
というのも、当時の涼は医大に通っていた訳であり、詩音は詩音で日本人学校に通っていた訳で
あるから、二人が出会うという事は殆どと言っていいほど無かった訳である。しかし、詩音の父親である
双海博士と涼の父親である慎一郎が旧友であるという事もあり、両家は短い間であったとはいえ、
家族ぐるみの付き合いをしていた。ある時には氷乃森家で食事を共にしたり、ケーニヒスアレーの
カフェで一緒にお茶を飲みながら、詩音が海外で見聞した事を涼が色々と聞きまくるという様な事も
往々にしてあったりした訳である……。
そして放課後……。校門を潜って家路へと向かう一同の中には、早くも詩音の姿が混ざっていた。そして、校門から続く緩やかな下り坂−緩やかだが、自転車通学をしている面子にとってはとんでもない心臓破りの坂であった。しかもどこの学校、どこのクラスにも最低一人はいる『絶対に止まらずに
上りきる』と言う妙なチャレンジャー精神を持っている生徒の闘争心を掻き立てる程度には十分な
坂であった。……一応……−を下りきった所で彩花と合流した訳であるが、見慣れない人物の
姿を認めた彩花が『はて?』といった表情を浮かべていたが、智也に唯笑、そして詩音自らの
自己紹介を聞いた後には何の違和感もなく普通に友人として接していた。そして後に聞いた
話であったが、詩音自身は日本人に対してあまり良いイメージを持ってはいなかったそうなのだが、
涼に会った事でそのイメージはある程度払拭されていたと言う事であった……。
そして、皆でワイワイと賑やかに談笑しながら澄空の駅へと向かい、詩音や智也達と別れる
事となった訳だが、改札の向こうに消えようとしていた詩音が何かを思い出したように振り返り
「涼……それに彩花さん達も…この週末に私の家に来てください。お茶を用意して
お待ちしていますので♪」
とにこやかに告げ、そのまま改札へと消えていった。
そしてみなもと詩音が同じ電車で帰り、残った智也達は駅前の雑貨屋などで思い思いの時を
過ごし、夜の帳が空を包み込んでいく時間に合わせるようにそれぞれ家に帰る事となった。
「ふーん、転校生が入ったんだぁ……。私も見てみたかったなぁ〜」
ここは『セゾン澄空』の涼達の部屋。風邪で日中寝込んでいた華音もようやく起きだし、
2LDKのリビングに据えてあるテーブルで、はちみつレモン湯を飲みながら涼達のクラスでの出来事−詩音の事については、特に話すまでもないという涼の判断から敢えて名前は出していなかった−を
涼から聞いていた。そして、飲み終わったコーヒーカップをシンクに置きながら、その隣で夕飯の準備をしている涼の横顔を見つめ、ふと何かに気付いたかのように
「お兄ちゃん、もしかしてその人の事…好きなの?」
と唐突に尋ねた。いくら涼が普段から超然と構えているとはいえ、この唐突の質問にはかなり驚いた
らしい……。野菜を炒めていたフライパンの手元が狂い、『ボォウンッ!』と炎が吹き上がった。
「華音…頼むからそう言う突拍子もない事を言わないでくれ……。焦って火事を起こしたなんて
恥ずかしいからな……」
その後、夕食を食べてからお風呂…左腕を失い、足も半分動かない華音の体では、一人で入浴というのは不可能なため、涼が介添えをしている(もっとも、水着着用なのは言うまでもないが)。
そうして夜もふけた頃、週末の事を考えつつ華音が眠りに落ち、その後暫くして次の学会に向けた
書類と論文の草稿をまとめ終わった涼も、ベッドに潜り込んで眠りに落ちていった……。
そして、詩音の自宅で開かれたささやかなティーパーティー…になるはずだったのだが、唯笑が
この事を音羽姉妹と信に喋ってしまった事が運の尽き…いや、音羽姉妹に関しては良識人同士
(他人事に首を突っ込むかおるはともかく)なので問題ないにせよ、普段から騒がしい信が参加して
いたのである……。では、普段から何かと面倒を起こしている智也はと言うと、こういう場では要領よくおとなしくしているので、詩音や希望の印象は『落ちついたかっこいい先輩』に定着したのは
言うまでもない事であったが、結局彩花にばらされてしまい大方通りの評価となってしまった……。
そうして、色々な事が起こった一ヵ月後…再び運命の歯車は回り始める……。
10月の中頃…秋にしては珍しく、朝から曇天模様の空の下。妙な胸騒ぎを覚えつつも授業を
受けていた彩花だったが、胸騒ぎの正体も定かにならぬままに昼を迎えていた……。
『ねぇねぇ彩ちゃん、お昼ご飯どうする?購買のサンドイッチにする?それとも学食のきつねうどん
セットにする??私はサンドイッチにするんだけど……』
そう言いながら彩花の席に近付いてきたのは『杉島みのり』という名の少女で、彩花の同級生でも
ある。ちなみに、彩花は言語障害者クラスに入っているのだが、みのりは聴覚障害者クラスである。
だが、彩花が手話を覚えたことで二人の意思疎通には何の問題もなかった。
教室でみのりはサンドイッチ−澄空のような奇天烈メニューではない定番だという事は
言うまでもない−とお弁当持参の彩花。それに数人の友達と一緒に、座席を固めて食卓を作っての
昼食となった。同年代の女の子が集まれば色々な雑談−趣味やファッション、恋愛などが出るのは
当然−の中で智也と付き合っている事が話題に上り、二人の出会いやどのようにして告白したのか等、色々と根掘り葉掘り聞かれた。もっとも、あの事故さえなければ彩花も普通の女の子なので、
経緯については至って普通のものであった。まぁ、智也がああいう正確な分様々な気苦労は
それなりにしていたようだが……。
一方、同じ曇天模様の空の下…。澄空高校の智也達のクラスでも手近な座席を固めて昼食会が
行われていた。ちなみに、こちらのメンバーはいつもの十人組であったが。と、そんな中で
智也が彩花と付き合っている事を唯笑がばらしてしまい、質問攻めに遭った智也であった。しかし、
あらかじめ二人の関係の事を聞いていた涼が上手くフォローし、深く突っ込まれる事はなかった。
当然、その後で缶コーヒーを唯笑が涼と智也に奢ったのは言うまでもない事であったが。
そして放課後…。珍しく智也は一人で家路についていた。ちなみに、唯笑は掃除当番で居残り中。涼は昼間化学質で起きた有毒ガス事故で倒れた学生の応急処置と治療の為病院に
足止めされていた。そういう感じで他の面子も用事が重なり、下校となったのである。10月の雨は
少々冷たく、一人家路を辿っていた智也は丁度3年程前の事故…彩花が言葉を失ったあの事故を
嫌でも思い出させていた……。
「冗談じゃない…あんな事故は二度とゴメンだぜ……!」
目の前で起きた悲劇が繰り返されそうな雰囲気を感じ取ったのか、その雰囲気を否定するべく
強気に吐き捨てた智也であったが……。
その頃、彩花は学校を出て澄空にたどり着いた所で、暫くキョロキョロと智也の姿を
探していたが、丁度校門から出てきた信が彩花の姿に気付き
「よう、桧月さん。智也だったらさっさと帰っちまったよ…。しかし、あの時俺が見つけてなかったら、
あいつ取り返しのつかない事になってたかもなぁ」
コンビニのビニール傘越しに雨模様の空を見上げて呟いた信に、彩花もつられて空を見上げた瞬間
[コノママダトタイヘンナコトニナル! イソイデ!! イソイデミカミサンノトコロニ!!]
頭の中から不思議な『声』が響いたのである。
(えっ……!?今の声って一体……??)
その声に驚いて辺りを見回した彩花だったが、周囲に…声の聞こえる範囲内で人影と言えば
信一人のみ。その声に釈然としない面持ちで首をかしげていた彩花だったが、次の瞬間
[ハヤク! ハヤクミカミサンノトコロニ! モウ、ダレニモカナシンデホシクナイカラ!!]
…再びあの『声』が彩花の頭の中に響いた。その声に、ただならぬ事が智也に迫っていると
直感した彩花は、取り急いで信に礼を書いたメモを渡した後、あの日の智也と同じように、
しかし立場を逆にして振りしきる雨の中智也の許へと急いだ。
そして、病院の待合室でコーヒーを飲みながら生徒の回復を待っていた涼だったが、
外の雨模様を眺めていると、不意に頭の奥底にチリチリとした痒みの様なものを感じ取り
「何だ…?この感覚…。あぁ…倒産と母さんの事故の時に感じた感覚のぶり返しか……。
…!待てよ!?この感覚を感じるという事は……誰かが…誰かが事故に遭うというのか!?
Scheiβ!(シャイセ!)そんな…そんな事……絶対にあってたまるか!!もう二度とあんな
悲しい思いはしたくないって心に誓ったんだ!絶対に阻止してみせる……セシル、
悲しみを断ち切る為に…誰かの悲しむ顔を見ずにすむ為に……私に…力を貸してくれ!!」
病院の医師にその場を任せ、雨の中飛び出した涼は、己の感じる感覚が指し示すままに従い、
全速で悲しみの影が忍び寄ろうとしている人物の元へと駆け出していった……。
彩花と涼、二人がそれぞれに感じ取った直感のベクトル。その中心にいたのは、他ならぬ
三上智也であった。彩花の脳裏に響いた声は、明確に智也に危機が迫っている事を告げていたが、逆に涼が感じ取ったそれは誰という事までは特定できなかった。しかし、涼の直感はその『誰か』の
いる場所をほぼ特定するに至っていた。そういう訳で、二人が智也の元に急いでいる丁度その時、
肝心の智也は途中寄り道をしていたのだが、その事がより危機を大きな物にしているとは
正に『運命の悪戯』としか言い様がなかった……。
その瞬間は、唐突に訪れた……。智也が通学路のあたりを歩いていると、雨音の激しさに紛れる
ようにして一台のトラックが真後ろから猛スピードで智也目掛けて突っ込んできた。しかし、智也が
買った雑誌を読みながら歩いている事と、トラックの運転手が助手席を覗き込んでいる事が重なり、
双方がお互いの存在に気付く事はなかった。そして、智也の後を追って駆けて来た彩花が
ラストスパートで駆け寄ろうとしたその時には、両者の距離が回避不可能なまでに迫っていた。
そんな絶望的な状況の中、彩花の口…三年前の事故で声を失っているのだが、反射的に『智也!
後ろからトラックが!!』と叫ぼうとしていたのだが、当然の様に声は発せられなかった。しかし、
智也がトラックの存在に気付き、絶望的ながらも回避しようと横に飛ぼうと身構えた瞬間水溜りに
足をとられて倒れ伏し、絶望的な表情でトラックを見上げた瞬間
「イヤァァァァァァッ!!!!!智也ァァァァァァ!!!!!!」
彩花の喉から溢れ出た絶叫が周囲の空気を震わせていた。そして、その叫びに呼応するかのように躍り出た人影が智也に跳びつき、抱きついたまま横飛びに飛んだが、彩花の位置からでは二人ともトラックに撥ねられたようにも見えたし、なにより、恐怖でパニック状態に陥っていた彩花の思考では、
誰かが智也を助けようとした事すら認識出来ていなかった……。
飛世巴がその場を通りかかったのは、授業中の居眠りを担任に見つかってしまい、放課後に
呼び出されて説教フルコースを御馳走になっていただけなのだが、事故の現場に居合わせたのは
間違いなく偶然の産物であった。だが、あの時の智也のようにひたすらうろたえるだけでもなければ、今の彩花のようにパニックで思考停止を起こす事も無かった分、この場所で起こった事態に
いち早く気付く事が出来たのは僥倖であった……。
「ちょっと!!大丈夫ですか!?…って、ひ、桧月さん!?どうして、喋れるようになったの!?!?」
と彩花に尋ねたが、彩花はパニック状態で何も聞こえていなかった上に、巴が来た事すら
認識していなかったようである。小刻みに肩を震わせながら虚ろな目で
「智也ァ…。どうして…どうして私の前から…ヒック……いなく…グスッ……なっちゃった
のよぉ………。あの時…約束した……じゃない……ずっと…ずっと一緒に…ック、いるってぇ……」
泣きじゃくりながら地面に座り込んでしまった彩花の様子に、巴もこれは只ならぬ事だと直感した。
そして、どうしようか、警察を呼ばなければと思いつつ携帯電話を取り出そうとした瞬間
「もしもし?悲しむのはいいんだけど、勝手に人を殺しておいて誰が華音の介添えをするんだい?
咄嗟に飛び込んだ場所については敢えて贅沢を言わないにせよ、死亡診断書くらいは主の御許に
持って逝かせて欲しいね……」
という、年齢にそぐわないほど落ち着き払った…人生の全てにおいて達観したような口調が
特徴である少年の声を聞いた巴も、驚いた様にその声の方向を見やった。すると、道路の片隅…
雨天であるにもかかわらず山積みされていた可燃ごみのビニール袋の山がモコモコと急に動き出し、
『っせいやぁぁ!!』という気合の掛け声と共に袋の山が弾けとんだ。そして、その山から智也を
抱きかかえて現れたのは……
「り…涼…くん……?でも、それに、智也も……」
「ひ…氷乃森君!?何時の間に…って、そうか。あの時飛び込んだ人影は氷乃森君だったわけね」
と二人はそれぞれに声を上げた。すると、ゴミの山を掻き分けて二人の元に近付いた涼だが、
「飛世さん。すまないけど救急車お願いできるかな…ちょっと、肩を強く打ったみたいでね…。
っ痛!……まぁ、彩花ちゃんも喋れるようにはなったみたいだけど、病院で検査しないと
いけないだろうし。三上君も意識をなくしてるしね………。まぁ、何はともあれよろしく頼むよ……」
そう言いながらも打った肩が痛むのか、智也に自分が着ていたジャケットをかけて道端に
座らせてから左肩を押さえて顔をしかめながら涼も一緒に道端に座り込んで目を閉じてしまった。
その後、巴が呼んだ救急車で涼達は病院に搬送され、智也はゴミの山に突っ込んだ際に打った
頭の傷の治療。涼は同じく突っ込んだ際に肩の骨にひびが入っていたそうなので、外科で治療……
と言っても、涼自身が外科のエキスパートなので自分の怪我の程度は百も承知で、治療に当たった
医師に逆に的確なアドバイスを出しているほどであった。一方、彩花は智也が無事であった事を確認して緊張の糸が切れたのか、そのまま気絶してしまっていた。そのため、麻痺が治った声帯の検査も兼ねて一泊の検査入院となり、病室でまだ眠りについていた。さて、目撃者でもある巴はというと会議室で簡単な事情聴取−といっても、状況を訊かれた程度なので特にどうこうという事はなかったが−
を受け、帰ろうとは思ったもののやはり智也達の事が気になるのかロビーで待っていた。すると
肩の治療を終えたのか、右肩をベルトで吊った涼がジャケットを引っ掛けたままで現れ、ロビーの片隅にある自販機でコーヒーを二つ買って器用に両手で持ちながら巴の隣に腰を下ろした。
「ありがとう、あの時救急車が遅れたら肺炎モノだったよ……。ま…それは抜きにしても、医者が
肩折って自分でギプス巻いて治療している光景ってのはなかなか見れない光景だよ……。」
そう言って苦笑しながら左手のカップを巴に渡し、右手のカップを持ち替えながら話していると
一台の車−それは、彩花の家の車だった−がやって来てすぐ玄関の自動ドアが開き、彩花の両親と唯笑、それにみなもがロビーに急いで入って真っ直ぐ涼の許にやって来た。そして
「涼君、彩花が再び喋れるようになったって言うのは本当なの!?」
「涼ちゃん!智ちゃんは、智ちゃんは無事なの!?!?」
「涼お兄ちゃん!その腕…大丈夫なの!?」
三者三様口々に訊ねながら涼の許に駆け寄ってきたのは、彩花の母親と唯笑、それにみなもの三人だった。駆け寄ってきた三人のあまりの慌てぶりに、さすがの涼も少々驚いた表情を見せたものの、
無理もないかといった感じで苦笑いを浮かべながら
「大丈夫ですから、そんなに慌てないでくださいよ…。まず、彩花ちゃんについては声帯の麻痺が治ったのは間違いないです。ただし、急に大きな声で叫んだ事でのどを少々痛めてるようです。
念のため、検査も兼ねて今夜はここにいてもらう事になりますが…まぁ、問題ないとは思いますので。
で、智也君は…飛び付いて助けたのはいいんだけど、道端のゴミ山に突っ込んだ時体を打った
みたいでね、彼も検査入院という形になってるけど、彩花ちゃんと同じく問題はないみたいだし。まぁ、二人揃って同じ部屋だから寂しくもないと思うよ?。ま、この肩については名誉の負傷で
全治一ヶ月。折れてたけど綺麗に折れてただけ治りも早いしね……。いやー、飛び込んだゴミ山の
中でもつれた拍子に電柱で肩打つとはね…我ながらいっぱいいっぱいだったと言うべきか、
目測誤ったと言うべきか……。まぁ幸い動かなくなった訳ではないけど、華音…怒るだろうなぁ……」
最後の方は少々情けなさそうにしょげていたものの、二人の様子について手短に説明した後、
涼は引き続き病院で二人の検査についての打ち合わせを行い、彩花の両親は手荷物等を持ちに
行くのと唯笑を送り届けに自宅に戻って行った。そしてみなもは巴と共に家に戻り−家の方向は反対だったのだが、みなもを気遣って巴が付き添ってくれたらしい−、一時的に慌しかった病院内も
再びいつのも静寂に包まれていった……。
そして、打ち合わせも終わった涼は華音に電話口で説教された後帰宅。暫くは華音もなるべく
自分の事を頑張るという事で話がついた。
一方、病室のベッドで眠りについていた智也と彩花が目を覚ますと、そこは病室とは違い夜に
包まれた森の中で小さく開けた泉のような場所だった。頭上の夜空には無数の星達が瞬き、泉の中に沈んだ水晶は仄かな燐光を以ってその泉をより神秘的に彩っていた。
「智也…ここ、どこだろうね……」
二人で泉の畔に立っていた彩花が不安そうに隣にいた智也に尋ねた。すると
「さぁな…でも、地獄の一丁目ではなさそうだぜ…。もっとも、現実世界でもなさそうだが……」
などと軽口を叩いてはいたが、不安である事は彩花と同じだったらしい。そして、二人が何となく
泉の方を向いた瞬間、水中に沈んでいた水晶が更に強く輝き始め、辺りに眩しい光が満ち溢れていった。その光は暫くして収まったが、完全に光が収まった泉の水面に、一人の少女が佇んでいた。しかも、その少女とは……
「ゆ…唯笑!?でも、金髪って……」
「どうして…唯笑がこんな所にいるの?」
と驚いていたが、唯笑そっくりの容姿を持つその少女は静かに首を横に振り、そして二人を穏やかな
表情のまま見つめながらこう告げた……。
『ごめんなさい…私は貴方達が知っているその子ではないの……。私の名前は[セシル]……
[セシル=エーアリヒシュタイン]…リョウの幼馴染で……彼が初めて愛した女性………。そして
三年前の今日、あの事故以来彼の心が負った[傷跡]………』
少女は悲しげに視線を彷徨わせ、泉の上でうつむいた………。そのまま暫く水面を見つめていた
セシルだったが、ややあって不意に顔を上げ
『それにしても、彩花さん。三上さんが無事でよかったわね?リョウが飛び込んでくれたおかげで
軽い打ち身で済んだんだし…』
と明るく告げた。しかし、突然現れた少女が自分の名前を知っている事によほど驚いたのか、
彩花は暫くキョトンとしていた。しかし、ハッと何かに思い当たったかのように
「その声……あ…貴女なの!?私の頭の中に語りかけていたのは??」
とセシルを指差して素っ頓狂な声を上げた。すると、いきなり怪訝そうな顔をされた挙句に指差し
までされたのが気に障ったらしく、セシルはムッとした表情で腰に手を当て
『失礼ね…。そりゃあ私が貴女の魂に共鳴して危険を告げたのは確かだけど、それにしたって
何処ぞの墓から出てきたデュラハンを見ちゃったような顔することはないでしょうに……』
と呆れ顔で大仰に嘆いて見せた。これには彩花も素直に謝るしかなかったのだが、セシルは
[気にしてないからいーよ]と言いながら智也の方を見やり
『ふぅん…貴方が三上智也クンかぁ……。気になるからずっとこの泉に貴方の姿を映して
覗いてたけど、リアルで見ると男前ねぇ。あ、でもちょっとリョウに似てる部分もあるかも♪♪』
と少し嬉しそうにしていた。だが智也にしてみれば、涼との接点など全くない自分が似ていると
言われた事に驚いたのか、疑問を浮かべたような表情で
「で、でも…俺は涼みたいに天才的な頭脳は持ってないし、医学の知識なんてこれっぽっちも
持ってないんだぜ?それなのに、どうして似てるって……」
と尋ねたが、セシルは最初キョトンとした表情を見せていたが、急に腹を抱えて笑い出し、
よほどツボに入っていたのか目じりに涙さえ浮かべて
『プッ…。べ…別に知識がどうこうじゃないのよ…。アハハ…それそれ、そうやって驚いた時の
オーバーアクションとかそっくりなんだもん。それに……』
と最初のうちは笑っていたセシルだが、不意に笑顔を消して、少し寂しげな表情を見せた。そして
『優しくて、自分を犠牲にしちゃう所なんかも…リョウに似てるんだよ。だからかな…貴方達に
[お願い]をしようと思ったのは……』
と智也達を見つめながら寂しげに呟いた。
「[お願い]?それって一体……」
と素直に疑問を口にした彩花だったが、セシルの告げた[お願い]とは
[あの事故以来、リョウの心の傷は癒えてないので、唯笑を含めた貴方達で癒してあげてほしい]
という、ごく当たり前ながら切実な願いであった。
その後、暫く話し合っていた三人だったが、不意にセシルが空を見やり
『ゴメン…私、そろそろ帰らなきゃいけないの…。多分貴方達の前に姿を現す事はもうできないと
思う…。だから、あの[お願い]は果たしてくれるととても嬉しいんだ…。それじゃあお二人さん、
いつまでもお幸せに……ね?バイバイ!!』
そう告げたセシルの体が光り輝き、数瞬の後には弾けた光が蛍のように辺りに漂っていた。
「涼のやつ、あれで結構重いものを背負っていたんだな……」
「そうだね……。ね、智也……」
「ああ、解ってる。俺達と信や音羽姉妹…双海さんにも協力してもらって涼の心の傷を
癒してやろう。でも、その前に……お帰り、彩花………」
そう固く誓った二人は、どちらからともなく顔を近づけ、やがて、あの時と同じように軽い
口付けを交わした。その時、泉の底にちりばめられた水晶が祝福するかのような輝きを放ったのだが、それは偶然だったのか……それとも、セシルの魂の残滓が起こした奇跡だったのか、それは些細な事だったのかもしれない……。
氷龍「……ブツブツブツ………」
涼「華音…氷龍さんは何をしてるんだい?」
華音「さぁ……。さっきから何かお呪いしながら祈祷段に向かってるんだけど……」
氷龍「(カッと目を見開き)ろっぽんぞ───────────────っ!!σ゚
Д゚)σ」
(ドカ───────────────ンッ!!)
涼「うぉっ!」
華音「キャアッ!!」
氷龍「ふ…我ながら完璧な召還……。さ、おいで…」
セシル「ハァイ…久し振りね、リョウ」
涼「セ…セシル!?でも、どうやって…って、氷龍さんが呼んだんですか??」
氷龍「カラ〜ンカラ〜ン♪大当たりぃ〜〜」
華音「ま…魔方陣……。そこまで用意周到にしますか……」
氷龍「そこまでしますww」
セシル「さて、呼ばれていきなりですが……。次の『Memories
Mirage第二章第三話』、
どんなお話にするんです??」
華音「あ、それは私も気になる!私は今回風邪引いて出番なかったし……」
涼「肩折った私はどうなるんです!?」
氷龍「あー、三話ね。涼……お前の出番だ!」
華音「おぉ〜〜!!」
セシル「どういう感じ?」
氷龍「それは、出来てからのお楽しみ」
華音「残念……」
氷龍「という訳で、次回の『Memories Mirage第二章第三話』に……」
全員『ご期待くださ〜いっ!!』
唯笑「次に続くっ!」
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